拙い文章ですが一読いただき批判、反論していただければ幸いです。
なお本稿は袋井文芸(静岡県袋井市文化協会発行)へ投稿したものです
軍国主義の再現を憂う
肴瓮 泰(なへ ゆたか)
1 はじめに
国家は、日本国憲法第9条(9条)を改憲し戦争を可能にし、教育基本法を改め画一的な<愛国心>を強制し、さらに<共謀罪>により反国家思想を弾圧しようとしている。この国家の動きは、15年戦争(日中戦争、太平洋(日米)戦争)当時の軍国主義の再現を意図しており、広島の原爆被災者への「過ちは繰り返しません」との鎮魂の誓いをかなぐり捨てるものである。この軍国主義の再現に強い危機感を抱き著者は筆を執ります。なお、文中の国家は日本の国の治者(狭義には自民党国会議員およびそれと共生する役人)、国民は日本の領土に居住する被治者、財界人は経団連所属の企業の経営者を示す。
2 9条
国家と国民は治者と被治者という基本的な対立要素を有している。すなわち「国家の軍事力は国家の独占であり、国民の命より大切な国家があるとの思想のもとには国民はまったく無力となる」、「国家が国民の義務規定を増加することは国家の権能を増大し国民の基本的人権を奪うことになる」さらに「国家は主義主張という美名のもとに正体を隠している利害の衝突で私益のために国事を運営する」と言われる。そこで国家は国民のためにあり、国民は国家のためにあるのではないとの考えのもとに、国家の行為を制限しているのが憲法であり、憲法は国民生活の基本法ではない。国家はこの憲法に基づき各種法律を定めることができる、これが立憲政治の基本であろう。
他方、人間の存在権や財産権の立場から<人殺しおよび盗みをしてはならない>が普遍的な道徳(正義)であろう。この正義を犯した者、たとえば人を殺した者には死刑をも科すことになっている。ところが戦争では人殺しを奨励、強制するというのは正義に反する行為であり、どんな場合でも正しい戦争はありえない。この立場から国家は戦争準備および戦争をしてはならないと制限しているのが9条である。
3 戦争の原因
戦争の原因として富国、軍事産業、米国盲従および1等国意識などが考えられ、それぞれについて検討する。
富国:近代日本の外国との主な戦争は、江華島事件(1875年)に始まり、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、日中戦争(1931年)および日米戦争(1941年)である。これらの戦争の原因は種々あろうが共通している根源は富国策に基づく日本の豊かさの追求であろう。日本は、日米戦争の敗北(1945年)で江華島事件以来の富国の夢は破れ国家も国民も極貧となった、しかし敗戦後、9条による不戦の姿勢を維持することで民需主体の産業によって1970年代には先進国並みの富国を手に入れることがきた。すなわち戦争では極貧国となかったが、9条に基づく不戦により富国になれたという貴重な体験を日本はしている。
富国とは狭義には財貨が豊かな国のことであり、財貨は金額の多寡で示せる。しかし単に財貨のみ多くても真の豊かさ(数値化できない)は得られないであろう。識者は「多くの物(財貨)を手に入れたが精神的にはかえって失ったものが多い。少ない物で生活ができそれが精神上の自由と平和(精神的な豊かさ)を与える」、「精神的な豊かさを見失う理由は無制限な財貨欲にある」、「今あるもので十分と知る人だけが真の豊かさを知る」および「人間に割り当てられた真の豊かさの総量は時代によりそう差がない」を提示している。これらの提示から豊かさには財貨(P)、精神的な豊かさ(M)(数値化できないが他人に信頼、尊敬される喜び、物事を達成した喜び、科学の論理の見事さや芸術の美しさへの感動、想像および創造する楽しみ、自由、豊かな言葉などが挙げられる)および真の豊かさ(W)がある。これらには次の関係式が成り立つことを著者は提案する、真の豊かさ(W)= 財貨(P)× 精神的な豊かさ(M)、すなわちW=P×MでありWは時代により、個人、企業および国家によりほとんど変化しない定数で、PとMは反比例関係にある。たとえば「方丈記の著者、鴨長明は60歳を過ぎてから方丈の庵に住んだ、かつての屋敷の1000分の1の空間である。しかし長明には時空を越えた広い世界が開けた」(佐々木幸綱)という、この場合財貨(P)が1000分の1になったことで精神的な豊かさ(M)は1000倍になったと説明できる。また生涯貧乏僧であった良寛さんは生活する最低の財貨しか持たなかった、すなわちPはほとんど0に近く、その分精神的な豊かさMは無限に近く大きかったのであろう。国家も企業も財貨のみを求めると精神的な豊かさは0に近づきこの世で一番大切な人の命の軽視へ、さらには戦争へと進むことになる。また地球上の資源は有限であり無制限な財貨の増加は許されず、国家、企業および国民も財貨の上限を設定することが必要となろう。そこで著者はその上限を1965年から1974年のいずれか1年またはこれら10年間の平均の経済状態(歳入、歳出、GDP、売り上げ、利益、給与および家計など)とすることを提案する。1970年代に日本は先進国並みの財貨を手に入れたにもかかわらず、更なる財貨を求める最近の財界人の「金儲けこそ活力の源泉」との勇ましい掛け声が国家を戦争へと駆り立てることになる。富国への強欲が日本を15年戦争へ導き国を滅ぼし極貧国としたことを、財界人および国家は忘れてはならない。
軍事産業:軍事企業は兵器の需要(戦争)がなければ維持できないので戦争を望むことになる。事実、米国は日米戦争後20ケ国と戦争をしてきた、平均して3年に1度戦争をし、さらに世界各地の民族紛争にも米国から武器輸出はあったものと推定でき、これらの戦争および紛争により米国の軍事企業が維持できるのである。それゆえ営利を目的とした企業が兵器生産を行うことは避けるべきである。ところが経団連は「防衛産業の保護、育成を要望し、武器輸出を全面的に禁じた武器輸出三原則の緩和を要望する」と述べている。この要望を認めることは絶え間ない戦争を誘発することになり、世界の平和とは程遠く地球の地獄化を望んでいることになろう。二宮尊徳の「道徳なき経済は犯罪に近い」との考えによれば経団連の要望は犯罪そのものを導くことになろう。他方、日本の自衛のためにどれだけの軍備があれば安全という上限はなく、国家は自衛の名のもとに際限ない軍拡へ進むことになり、軍事企業は戦争を望むことになろう。
米国盲従:識者が「日本人は理想がなく強きに従う」と指摘するように、国家および財界人にも理想がなく、ないがゆえに米国と同じ価値観を有すると安易に思い込み米国に盲従している。しかしその米国は「原爆で脅す国」「国益を基準に世界支配を進め、暴力によりテロを助長する国」「戦費を日本に担わせ、日本を戦わせて自国の利益を得る国」「豊かさの中に孤独と不安をつのらせている国民の国」「世界最大の大量破壊兵器を保有するテロ国」「自国の文明を過信し世界を一色に塗りつぶせると信じている国」「9.11テロを生じた自国の行為には一顧の反省もない国」「相次ぐ侵略戦争のために生まれる怨念を恐れて兵器を生産し、兵器を生産するから侵略戦争をし、侵略するから「怨念」を生じ兵器生産へと走る病的な国」および「弾道弾迎撃ミサイル制限条約の破棄、核実験全面禁止条約の批准拒否、地球温暖化防止京都議定書からの離脱など勝手放題の孤立主義国」などと非難を浴びている。領土の狭い資源のない日本には米国とは全く異なる小国の身の丈に合った価値観があろう。それを求めずに上記の非難を浴びている米国の価値観をよく検討もせずに日本の価値観が米国のそれと同じなどとすることは大きな誤りである。こんな価値観で日本が進むことは誤った方向へ進み取り返しのつかないことになる。元仏大統領ド・ゴールは「同盟国間にあるのは利益だ」と言っており、日米同盟は、日本の利益など米国の眼中にはなく米国の利益のために日本を利用するのであり、世界の平和とは無縁である。このように冷静に眺めれば日米同盟に依存するのは危険であり、国家および財界人は日本独自の価値観を持ちアジアの国々との同盟を深めることである。世界の情勢は戦争を否定する方向にあり国家は米国に軍縮を提案する必要がある。そして国家も9条に従い軍縮への方向を目指すことである。
1等国意識:日本人、特に国家および財界人は開国(1853年)以来、1等国になることばかり考えている。すなわち日清、日露の戦勝で先進国の仲間入りができたがそれには満足できず、1等国意識に駆り立てられ「日本を世界の最強の国にすることが人類に奉仕する道」と考えた。この誤った自覚と誇りが日中、日米戦争へと導き悲惨な敗北を招いた。敗戦後この1等国意識は形を変え経済1等国を目指し1980年にはほぼその目標は達成できた。目標達成後、先を走る国がなくなり日本は迷走している。その原因は国家および財界人が<日本のあるべき姿>を描けないためである。現在、彼等が描いている日本の姿は、9条を改憲し戦争のできる国とし、米国に盲従し侵略戦争により1等国の地位を得るというものであろう。しかしこの姿は以下の3点で<あるべき姿>足り得ない。1)戦争は人殺し、侵略は盗みであり正義に反する、2)冷戦後(1991年)自国の利益のために手段を選ばずという米国に盲従することは日本が国外および国内戦争に巻き込まれる危険性が高い、3)世界の人々が平和を求める時代である。「日本のあるべき姿」は国家および財界人が日本の経済状態の上限(前述)を維持し、9条に従い軍縮を進めることであろう。
4 愛国心
9条を改憲し戦争のできる国にしようとしている国家の<国を愛する心(愛国心)>は国家が統制する画一的な<戦争を愛する心>であろう。このような愛国心は虚偽、擬勢であり、その強制は日本を再び戦争に導くことになろう。すなわち15年戦争で、昭和天皇を現人神と崇め至高の権威として天皇の発表する教育勅語が善悪の判断基準とされ個人より国家を優先し、天皇のために敵を殺すことを誉めたたえ一億一心と擬勢した<愛国心>が日本を戦争へそして敗北へ導いた。この<愛国心>に関し戦時中、天皇は神であり日本は絶対に正しいと愛国心を生徒に教え込んだ配属将校は、敗戦後「天皇は神ではない、日本は誤っていた」と愛国心の虚偽、擬勢を暴露した。多くの国民は戦時中の<愛国心>がまやかしであり裏切られたとの感情を抱いき、「愛国心は戦争を望む悪党の隠れ蓑」であると言い切る。矢内原忠雄は「2.26事件の愛国者は日本を敗戦に導いた最大の非愛国者だ」と言う。このように愛国は種々の解釈が可能なので、日本の環境や文化に抱く親しみの感情は「国土愛」、国家の強制する愛国心は<愛国家心>と区別することを著者は提案する。そして21世紀に国際社会の中で生き抜く日本の「真の愛国心」は、9条を護り日本が軍縮を行い無防備国となり、国家と国民が知恵を出し合い、力を合わせて無防備自衛組織により侵略者から日本を守ろうとする決意であろう。
5 共謀罪
15年戦争の敗北前、国家は<神の国思想>を作り、反国家思想の弾圧は治安維持法によりなされ、従わないものは殺してまでも国家思想を徹底させた。たとえば「蟹工船」の作者、小林多喜二の特高警察による虐殺、多数の言論出版人が投獄され多くの獄死者がでた横浜事件などがある、また国家は戦争に反対する人々を国賊として反戦運動を阻止した。天皇制を悪用した<神の国思想>に基づく国家の権威主義により人為的に思想を画一化し、15年戦争の敗北を招いた。ところが最近、国歌・国旗法が成立し天皇制の復興の決意表明がなされている。ちなみに米国では国旗への忠誠の誓いを強制する法律は言論の自由を侵す憲法違反であるとの米国最高裁判所の判決がある。日本における学校での国歌斉唱の強制は憲法違反であろう。9条の改憲を口にする多くの人が<神の国思想>に片足を突っ込んでおり、天皇制を悪用した人々が天皇制を支持している。そのような人々が成立を目指す共謀罪は、基本的人権の大切な権利である「言論の自由」を国民から奪うものである。この共謀罪の成立により日本が再び明治、大正、昭和国家がたどった道を歩むことになり、国家は再び大きな過ちを犯すことになろう。
6 健全な社会
<愛国心(愛国家心)>や<神の国思想>により国家統制した一方向の強風が、15年戦争の悲惨な敗北を招いた苦い経験から、識者は思想の多様性の重要性に関し「戦時における国家批判は、批判を封じた場合に起こる過ちを防ぐことができる」「少数意見の方が多数意見より深く考えられており質において多数意見より優れていることがある」および「言論の自由により国家論の統一には時間を要するが長い目で見れば安定した強固な社会が実現され底力のある国家が作れる」と言う。この多様性に関し「人生こうでなければならないという原則はないので、人の考えはそれぞれ違っていてもいずれも正しい」と言われる。それゆえ夫婦の間でさえ本当に理解しあえないままお互いを認め合わなければ共に暮らして行けない。夫婦の和は迎合ではなく個性豊かなお互いを認め合い、その上で二人が歩み寄り調和を保っているのが理想であろう。人々も各人が独自の思想を持ち、自分と違う思想の人間の存在をそして人間の多様性を認め合い「和して同ぜず」により皆が仲良く暮らせることが理想であろう。人々の種々の思想が対立し、揺れ動きつつ均衡を保つ社会が健全な社会であろう。このような現象は自然界でも見られる、たとえば人々は無風、微風では快適な生活ができるが強風や台風により時には大きな被害を受ける。外見は無風状態でも空気(窒素、酸素、二酸化炭素、水、アルゴンなどの分子の混合物)中の1個の分子は他の分子と1秒間に100億回以上も衝突をしている。それでも全体としては均衡を保ち無風状態となっている。この状態に外力(熱など)が加わると風が起こり時には強風や台風となる。強風や台風は外力によりある一方向に分子が移動するために生じる危険な状態である。大気中の分子は多数の衝突を繰り返しながらも自分自身も相手分子をも破壊することなくそれぞれにその分子を維持している。
7 戦争は時代遅れ
128億光年よりももっと広い宇宙の中の太陽系惑星の一つにすぎない地球、その小さな地球の45億年の歴史の中で生物の歴史は36億年である。その生物の進化で人間が誕生したが、地球への隕石の衝突や太陽の膨張などにより人間もやがて滅亡する宿命を背負っている。そして地球上の地震や台風などに対してすら人間は危険に晒されている。その人間が戦争という人災までも加えてこの世で一番大切な命を失うことはなかろう。小さな地球の小さな島国の日本に目を転じると、1500年代には群雄割拠した武士たちが狭い領土の支配権をめぐり争いを続けていた。今日から見ればなんと無益な戦いをしていたのだろうと誰もが思うであろう。交通通信手段の発達した今日の地球は1500年代の日本の領土より相対的に小さくなっている、すなわち12時間で地球の裏側に行け、ある国の事件がその日のうちに世界中に知れ渡る時代になっている。現在の地球上での戦争は1500年代の日本の戦国時代よりももっと狭い領土の支配権で争をしていることになろう。このような戦争は時代遅れであり愚かなことである。他方、世界の大きな流れとして人間の平等、人権の要求は高まっており、地球上の有限の領土、資源を先進国が独占することは許されない時代である。先進国は発展途上国の人々の人権をも考慮し、それぞれ自国の経済状態の上限を設定しそれを維持することである。その上で国益の対立する国々は外交により妥協点を見出すことである。外交による解決は戦争をすることより困難であるが、安易な戦争は敗者の怨念を生み更なる戦争の火種を残すことになる。それゆえ武力によらない外交で「文は武に優る」を信じ、時間をかけて解決する努力を続けることである。欧州連合(EU)は試行錯誤を重ねながら国境を越える方向へ進んでいる。この動きはアジアの国々も国境を越えアジア連合へ進むことを示唆している。
8 むすび
9条は非現実的理想を掲げているように見えるが、戦争を避ける唯一の方法であり、15年戦争で命を失ったアジア、日本そして米国の人々から頂いた尊い20世紀の英知である。それゆえ9条の理念を実現すべく日本は軍縮の方向を目指し、日本が非軍備国でも安全を確保できることを世界に示すことである。その軍縮により国際連合へ日本の非武装中立の決定を要求することである。そして国連憲章の「自衛権行使の場合を除き国としての武力行使を禁ず」を頼り国家、国民の安全を信じることである。現状では一切の兵器を放棄して国家、国民の安全保障ができるとの考えは危険かもしれない。しかし「外国の軍事力による侵略があった場合、日本人の組織だった降伏が被害を最小にする」との識者の意見を信じ、人類普遍の願いである平和のために国民の非暴力組織による無抵抗主義で侵略に対抗し、最悪の場合は降伏し侵略に耐えることであろう。チェコの作家カレル・チャペック(Karel Capek 1890-1938)の言葉「ここに平和の水脈があります。掘り出せないほど深いところではありません。神様、こんな水脈が世界にありますよね!」の「水脈」が正に9条である。
完
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